朝はいつも死にたい3

 3

 耳だ。クリーム色の髪の毛から、耳が、ぴんと飛び出ている。

(はえてる)


 目の前のテーブルに並べられた豪勢なパーティー用の晩餐よりも、うっかりその耳の造形に見入ってしまっていたらしく、向かいの席の彼女は少し戸惑ったような様子でカリシュに首を傾げて見せた。

「あの、なにか…」

 いや、と答える前に、手の平を打つ音が合図として鳴り響いた。


「ほーら、お前ら! 料理できてんだから! ギルマスが喋るぞ」

 ロイアードの声だったが、長机にずらりとギルドメンバーが並んでいるため、彼の顔はカリシュ側からは確認できない。しかし現役騎士の声は十分に行き届いたらしく、騒がしかった宿屋の食堂はシンと音をひそめた。本日は貸し切りである。

 静まった皆々の視線は、端に座っていたギルド幹部のほうへ移った。ギルマス、という言葉で突然指名されたイアーゼが面倒そうな顔をする。数秒後、彼女はくいくいっと顎で向かいの席へパスした。すると、はは、と笑い声が聞こえたのち、「じゃあ、僭越ながら代打で」とビジャックが立ち上がったのが見えた。


「今日付けで、クレッセンスに、五人の新しいメンバーが加盟した」

 ビジャックが、彼らの名前を「北側から…」と一人ひとり紹介していく。名前を呼ばれると同時に軽く会釈していく彼らを見ていると、どうやらカリシュの向かいは、新人が五人並んでいるようだった。


「先行で一緒に狩りに行った連中は十分わかったとは思うけど、非常に優秀で勢いのある冒険者だ。活躍は大いに期待できると思う。陣形を見直す良い機会じゃないか?」

 ちらっと全員を見渡した後、ビジャックは「まあ」とあまり間をおかずに場を閉めた。

「……仕事の話は一旦忘れて、今夜はお待ちかねの歓迎会だし、ぜーんぶギルドの驕りだから、いつものように、好きなだけ飲んで騒いで楽しんでくれ。はい、以上」 

 終了の合図が早いか、自称宴会部長のシェインがすくっと立ち上がり、満面の笑みでグラスを持ち上げる。シェインは酒豪だ。


「はーい、みんな~、お酒持った~? 持った? いっくよ~~、かんぱ~~い!」


 号令をかけている張本人が一番嬉しそうな笑みで言うものだから、つられて笑う者続出、というのが、このギルドの飲み会の開始恒例行事だった。今回もそんな調子で、乾杯、の声と共にそれぞれのグラスをぶつけあう。

 先ほど目のあったウィザードの女は、隣のブラックスミスの女と知り合いらしく、小さく二人で「かんぱい」とやっていたのだが、真向いに座っているカリシュのほうを見て、グラスを差し出してきた。

 その時、カリシュは既にグラスのワインに口を付けている最中で、まさか自分と共にこの儀式を行おうとする人間が現れるとは思っておらず、何を求められているのか理解しかねて、一秒、止まってしまう。それでもウィザードは嫌そうな顔も不思議そうな顔もせず、そのままの状態で、二秒目を待っていた。グラスをぶつけなくては、とカリシュは思う。

「だ~めだよ、フィオナちゃん。この人、ヘンジンだから。ごめんね~」

 後ろから突然カリシュは肩を掴まれる。いつの間にか真後ろに立っていたハンターのキッカがぐいと前に乗り出して自分のグラスをフィオナのそれにあてた。

「かんぱ~い」

 女子数人でそれを繰り返したのち、キッカはカリシュと右隣のゼウェルをするりと押しのけ、その間に腰を下ろした。

「変人なの?」

 キッカに尋ねたのは、ブラックスミスのほうだった。肩までかからない黒髪に襟足だけが長い、赤色をした眼の女だ。隣のウィザードよりは、少しはっきりした性格であるような顔つきをしている。

「うん、ヘンジン、ヘンジン。ねえ?」

 キッカは何故かカリシュ本人へ同意を求めるように首を向けた。別に自分がそんな風に言われる筋合いはないが、否定するのも面倒で、カリシュはそれに何も答えず受け流す。

「第一印象、ぶっこわしてやるなよ」

 苦笑しながら、ゼウェルが話に入った。

「ほら、ウィザードちゃん、きょとんとしてるじゃん。えっと、名前なんだっけ」

 ゼウェルに尋ねられ、金髪のウィザードは「フィオナです」と名乗った。ゼウェルはそのあと隣のブラックスミスに視線をやって、彼女がその意図を読み取り、幾分か親しげに「クロアです」と答える。

「いきなり変なことふきこむなよ~?」

 ゼウェルはキッカに言ったのだろうが、カリシュの左隣からその言葉を受けてディーユが口をはさんだ。

「そうだよ、大切だぜ、第一印象は」

 彼はちゃっかり、「ディーユです」と彼女らにならって名乗った後、話を続ける。

「うちのギルメンは見た目で判断できないやつが多いから、とりあえず、顔のいいやつには注意してな」

 例えばコレ、と彼は親指でカリシュを指す。話の流れを真逆にされて、ゼウェルが「おいおい」と諌めるような顔をした。けれどそんな彼にディーユは、耳打ちのようにわざとらしく声をひそめて言う。

「馬鹿、なーんにも知らない女の子が、コイツのおツラみて、どういう第一印象いだくと思う? 女性を救うのは紳士の義務だろ」

 ディーユのそれは、分かりやすくて腹の立つ軽口だが、自分に対してというよりは彼女らに向けてのコミュニケーションだということが分からないカリシュではない。何も突っ込まないままでいると、クロアが感心するように頷いた。

「確かに、すっごい美形だね」

 “おべっか”の部類であることは明白な口調だった。カリシュは彼女と目が合ったが、付き合いやすそうな表情を浮かべたままのクロアは、逆にカリシュにとって取っつきにくい。

「だろ~? 無駄イケメンだよ」

 ディーユがビールを傾けながら白々しく吐き捨てる。

「女泣かせ?」

と、少しだけ意地悪く微笑んで、クロアがカリシュに聞いた。そうそう、とキッカが笑いながら頷く。

「ある意味ね」

「うんうん、ある意味」

 すると、ディーユの逆隣側から、しれっとしたクロウの声が混ざってきた。

「男も泣いてたしな」

 それを聞いた瞬間、ディーユとゼウェルが同時に吹き出した。

「…ぶッ」

「あっはっははは! そうだよな! 男泣かせだよ、お前はどっちかっつーと」

 大ウケしながらディーユがバンバンと肩を叩いてくる。鬱陶しくないわけでは決してなかったが、経験上、余計なことを言うとさらに炎上することをカリシュは知っていたので、あえて黙って酒を飲んだ。話の流れが読めない新人組は、表情を作る一歩手前の顔でこちらの会話の行く末を見守っているようだった。さっきからクロアと違ってあまり言葉を発しない目の前のふわふわ金髪のウィザードと、目が合いかけて――カリシュはすいとそれを逸らす。すると視線に止まったのは、また、耳だ。横に長い。それから、先に向けてとがっている。

 ギルド連中の笑いは納まることを知らないようで、この席に座っていても碌なことはないと判断したカリシュは、ぐいっとグラスの中身を飲み干してから、代わりを注ぎに行くていで席を立った。

「あ、つごうか」とクロアがそのカラのグラスに気づいたが、「いや」とだけカリシュは制する。すると他の連中が「そうよ、主役はそんなことしなくてい~から」と適当に彼女を座らせて、おかげで上手い具合に離脱できた。


 座席を一歩抜ければ、途端に耳が静かだ。今夜分の酒は、麦酒ならギルマスたちの席のあたりに樽で置いてあるようだったが、ワインは各テーブルに並べられている分しか見当たらなかった。軽く舌を打ちつつ眺めた反対側のテーブル端に、カリシュはターキーとローストビーフの塊をみつけて、そちらに足を向ける。切り分けて皿に盛られた分の、残りのピースだろうが、随分と大きい。ローストビーフの方は間違いなく牛だろうが、鳥のほうはターキーではないかもしれない大きさだった。奮発したな、と思いながらも置いてあった専用ナイフでそれを切り分ける。ちょうど真横に座っていたキルシェが尋ねてきた。

「やりましょうか?」

 カリシュはそれを断る。キルシェはそうですか、と気を悪くした様子もなく元に向き直った。何故他人の分をキルシェが取り分けるという発想になるのか、カリシュには理解できないが、おそらくそういう性格なのだろう。

 カリシュが切り取り終わったころに、またキルシェが顔をあげて、今度は違うニュアンスで「やろうか?」と声を上げた。

 自分にではない、と気づいてカリシュが顔をあげると、肉の隣に置かれていたフルーツの盛り合わせの前に、あの耳のウィザードが立っていた。

「これって、どう取るんですか?」

 彼女の取り皿にはブドウやマスカットやオレンジがのせられている。ウィザードが指をさしているのは、半分に切ってそのまま置かれていたマンゴーだった。キルシェが、ころころと笑う。

「あはは、それ、驚くよねえ。なんか、各自、スプーンで掬って取ってくんだけど…でも、掬いにくいね」

 ちょっとまって、と騎士は立ち上がり、マンゴーに手を伸ばした。フルーツナイフで何本かサイコロ状の切り目をいれて皮を押し出し、実をそらせる。亀の甲羅のように角切りの果実が並んだそれを、キルシェは「はい、どうぞ」と笑顔で皿に戻した。他の実もするすると同様に切り目を入れていくキルシェの手付きを、カリシュはなんとなく眺めてしまって、最後の実が終わるのを見届けた。顔を上げれば、同様に見届けていたらしい彼女と、今度こそ目が合った。それから、逸らすと、耳。

「すごいですね」

 ウィザードはそう言った。キルシェは違うところから声がかかって、呼ばれた場所にパタパタと行ってしまうところだった。それで、その言葉を拾うものが居なくなったことに気づいて、カリシュは仕方なく彼女のほうを見た。彼女の取り皿にはもうマンゴーが取り終わっていて、彼女は視線だけで「いりますか?」と尋ねてくる。

「いや、」

 結構、とカリシュが声を出し切る前に、彼女は言った。

「エルフなんです」

 逸らしかけた目線を、カリシュは再び彼女に戻す。え、と問うと、彼女はマンゴーをもう一掬いしながら、「祖母が」と言葉を足した。

「母方です」

 そうか、とカリシュは答える。なんとなく、本当に率直に「なるほど」と思って、カリシュは改めてウィザードの耳を見た。金髪のウェーブから、ぴこりと、飛び出た耳は、左右対称にまるで羽のようにはえている。

(……エルフ。祖母が。母方の)

 その耳を観察できて、カリシュは思いのほか満足した。じろじろと他人を眺めることを心のどこかで遠慮していたらしい。

(エルフ)

「血が薄まってるから、私はほとんど違うんですけど」

 彼女はゆるく口元に笑みを浮かべた。あっさりと、けれどしっかりとした口調で、手慣れていると思った。説明しなれた様子の、それだった。

 そしてその滑らかさに妙な違和感を覚え、この話題が突然ふられたということにカリシュは遅れて気づく。自分の中ではどこか繋がっていた話題だったが、彼女がこの話をふってくるにしては唐突なタイミングだった。それだけ、ぶしつけに眺めていただろうか、という思いがよぎってカリシュは数秒考えた末、軽く謝罪した。

「悪い、無遠慮だった」

「え? いえ」

 彼女は少し慌てた様子で、首を振った。

「ぜんぜん、いいんです。珍しいみたいで、けっこう」

 片耳に手をやりながら、彼女が言う。

「触ってみますか?」

 おそらく、気にしていないという意思表示の一環だったのだろう。しかし、軽く耳を傾けられて、カリシュは「え」と驚いた。それから、すぐに驚いた自分に気づいて、それにこそ、驚いた。

「…」

 今、何故、驚いたのか。

(…触るか? いや、)

 おかしいか、と思って、けれど彼女が耳を傾けたまま姿勢を戻さないから、それをやめさせる手段が思いつかず、気づけばカリシュは右腕を伸ばしていた。

 人差し指の先に、耳の、軟骨とその上の薄皮の軟らかい摩擦が、つたわる。

『エルフなんです』

 祖母が。母方の。


 時間にして、数秒、それから彼女は、照れた様に「えへへ」と笑って、「普通ですよ」とカリシュの指から耳を離した。それあと、彼女は何か話しながら、たくさんのフルーツを取り皿に盛り付けて、しばらくすると席に戻って行った。彼女が行くのと入れ替わるように、キルシェが席に戻ってきて、カリシュはそこで我に返った。


 そう言えば、ワイン、と思い立って、自分のカラのグラスを見る。

 ワインボトルは、テーブルだ。さっきも確認した。

 そして、今、肉を切り分けていたことを思い出す。

「?」

 キルシェがこちらをみて首を傾げたので、カリシュは仕方なく元の席に戻るために、踵を返した。

 エルフ耳。


 席に帰れば、テーブルの話題は、クロウの美形いじりに移り変わっていた。完全にさっきの話題の飛び火だろう。ディーユがお得意の、『今までクロウが貰ったファンレター・ラブレターのおもしろ冒頭10選』を披露している。

「第三位。『ディアー、私のアドニス』」

「あっはっはははっは」

 仲間内だけでなく新人の彼らも笑っているところを見れば、クロウのキャラクターというものは、この数分で理解されたらしい。カリシュが席についても話題は途切れることがない。向かいの彼女らも、ケラケラと笑い続けている。目の前にはフルーツの盛られた皿。ブドウ、マスカット、オレンジ、マンゴー。

 くすくすと、ふわふわの金髪が揺れていた。


「……」


 思い出した、フィオナ、だ。

 指の腹に、さっきの感触が残って、いる。