マーク

  そのアサシンの男は、ずっと木陰で昼寝をしているようだった。


 プロンテラ南門の芝生広場は、昼下がりになると人影が減る。減るのは数というより、目的だ。

 午前中は、臨時のパーティーを探したり、ギルドの待ち合わせをしたりする冒険者たちの小集団で活気づいているこの場所だが、一日の終わりに近づくにつれ、彼らが戻ってきて清算を終え、そのままだらだら話し続ける緩やかな社交の場に変わる。

 いろいろな目的を終えた人々がくつろぐ芝生の木陰で、イアーゼもまた、今日の予定を終えてぼんやりと風にあたりながら身体を休めていた。


 月に一度ぐらいだろうか、イアーゼはここで一次職のレベル上げを手伝っている。対価は取っていない。ただの趣味だ。冒険者を目指し各地から上京してきたばかりの駆け出したちへ、臨時のパーティーに加わる前に簡単な講習をしてやるだけにすぎない。誰かからノウハウを直接教わるだけで、彼らの参入は随分容易になる。希望に胸を膨らませた若者たちが、自分からスキルを学び、嬉しそうに次のステップに進むさまは、見ていて気持ちがいいものだ。

 もちろん、初心者たちに関わるのは、穏便なことばかりじゃない。彼らはトラブルもよく起こす。ボランティアでレベル上げを手伝ったというだけで、トラブルの解決まで頼られることも少なくない。

 その日も、そういうたぐいのことが起こった。


「財布、落ちてませんでしたか」

 真っ青な顔でイアーゼに尋ねたのは、午前中に手伝ってやった一次職集団のうちの一人のアコライトだった。木陰に座ったまま、イアーゼは彼に答える。

「どうした。なくしたか」

「解散間際までは、持ってたんです」

 だから、このあたりで落としたはずなのだとアコライトは言う。イアーゼは周辺を軽く見まわしては見たが、さっきからずっと昼寝をしているらしいアサシンの男が一人いるだけで、周囲の地面にはほかに落ちていそうなものは見当たらなかった。

 そういえば、このアサシンは、いつもこの辺りで寝転んでいるな、とイアーゼがわずかに目を止めていると、男が突然、声を出した。

「青髪のやつだよ」

 彼が視線に気づいていたことに、イアーゼは少なからず驚いた。

「青髪の、シーフ」

 男はもう一度そう言って、それからまた何事もなかったかのように昼寝を続けようとする。

 イアーゼはアコライトを見たが、彼もその発言の意味は分からなかったようで、首をかしげている。アサシンの男も、彼の知り合いではないらしい。

「なにがだ」

 仕方なく、イアーゼが男にそう尋ねた。アサシンは、ゆっくり寝がえりをうち、気だるそうに顔をこちらに見せた。

 褐色の肌に、黒髪のアサシンだった。不思議な金色の眼をしている。


「いたでしょ、女のシーフ。あんたらの中に」

 男の話は要領を得ない。

 イアーゼは彼に向かって話を続ける。

「探しているのは、このアコライトの財布だ」

「だから。スったんだよ、あのシーフが」

 アサシンはまどろっこしそうに、鼻で笑った。それを聞いて、アコライトは慌てた様子で自分の服の内ポケットを抑えたが、もちろん中身は空だった。

「見てたのか」

「見えちゃうんだよなぁ、職業柄さぁ」

 アサシンは、にたにたと嫌な笑みを浮かべている。


 面倒なことになった。イアーゼはため息をつく。

 レベル上げのボランティアは、その日限りの集まりだ。彼らの居場所どころか、名前も碌に管理していない。

「……シーフ、知り合いか?」と、念のためアコライトに確認したが、彼は嘘みたいに肩を落としたまま「いいえ……」と小さく首を振る。

「だろうな」

 イアーゼは、またのうのうと昼寝に戻ろうとしているアサシンの男のほうへ向き直った。

「おい、顔は見たか」

 男は答えない。イアーゼは小さく舌を打つ。アコライトが不安そうにこちらを見ていたが、この程度の冒険者仕草をいなせないほどイアーゼの経験は浅くない。

 立ち上がり、アサシンのところにまで近寄って、彼の顔を覗き込む。「へ?」と、男が驚いた表情で顔を上げた。

「なによ」

「覚えてるんだろう、シーフの顔」

「顔なら、あんたらも見てんだろ?」

「お前のほうが、確実だろ」

 イアーゼの言い分に「なになに、ウソでしょ」と男は笑う。

「俺、関係ねえよ?」

「ある。お前は見ていて、何もしなかった」

 アサシンは、いよいよ体を起こしてイアーゼに向き直った。彼は不可解そうな表情を隠しもしなかったが、その不可解さをどこか楽しんでもいるようで、呆れるように笑っていた。

「おいおいおい、正気かよ」

「お前にだって、金がない一次職の時代があっただろう」

「あったよ。でも俺のシーフ時代は、スってくる奴はいたけど、スられた財布探す奴なんていなかったよ」

「いるんだよ、今は。ここに。二人」

 イアーゼはじっと、男の顔を見ていた。

「あっはっははは」

 堪えきれない様子で、アサシンが笑い出す。何がそんなに可笑しいのか、イアーゼは眉を寄せた。彼が何か情報を持っていることだけは確かなようだ。つき詰めるしかない。


「検討はついてるんだろう、居場所に」

「俺が? なんでよ」

「そんな話し方だ」

「マジかよ!」

 イアーゼは眉ひとつ動かさず、男の口元だけを見ていた。笑いの癖が、嘘を隠しきれていない。もったいぶるように時間を置いて、男は懐に手を入れた。

「わかった、わかったよ、わかりました。これね」

 

 男がそこから取り出したのは、小さな橙色の布袋だった。「あ」とアコライトが声を上げる。それで、イアーゼも分かった。アコライトの財布だ。

 なんのことはない、この男は要するに、盗品を横取りしていたわけだ。


「……呆れた奴だ」

「スられた財布は、スってもいいじゃん」

「なら、さっさと出せ」

「返す義理もないし?」


 イアーゼは、男の手から乱暴に布袋を奪い取って、アコライトにそれを手渡した。

 受け取った彼は何度も礼を繰り返した後、その場を走り去ってしまった。アサシンを責めようとしなかったところは、さすが、聖職者だ。

 その後姿をイアーゼがしばらく眺め、ふと視線を戻すと、アサシンの男はまた凝りもせず木陰で昼寝の続きをしようと寝転んでいる。

 とんでもない図太さだ。


「……お前、名前は」

「えー、やだよ、マークするじゃん」

「当たり前だ」


 それが、ラジャンとの出会いだった。



2026.02.02