相場

  露店の値札が、昨日より“正しく”なっている。誰かが相場を動かした。

 アゼスは、プロンテラ露店通りの人込みを、いつもの速度でかき分けながら、ブラックスミスたちが並べる値札に目を滑らせていく。昨日まで900を超えていた札が、今朝は780に揃っている。

 プロンテラが馬鹿な高値相場になっていた武器商品を、アゼスが目ざとく見つけたのは二週間前。アルベルタで12個仕入れて、今は八割がた売りさばいた後だった。あと数日遅れていれば、見込みの利益は出なかっただろう。危なかった。

 ここにいる多くの露店商たちは、たとえ仕入れ値を割ったとしても、周囲が値段を下げれば自分も同じように下げていくことしかできない烏合の衆だ。自分自身も、彼らのうちの一人でしかない事実にどうしたってうんざりする。

(やっぱ大物は、ダメだな)

 利益が大きく出る分、リスクも大きい。値段を操作できるような立場にない自分のようなブラックスミスが、下せる“合理的な”判断なんてものは、たかが知れている。手を出すなら、否応なく博打になるのだ。市場の空気を読むのは得意なほうだが、いわゆる波乗りは好きじゃない。

 ギルドの金でするなら、なおさらだ。


 ため息をつきながら、アゼスはギルドハウスの勝手口の木製ドアを押した。

 倉庫とつながっているその部屋はミニキッチンを携えた詰所だ。焜炉の魔法石を起動させ、湯を沸かす間に書棚から書付帳を取り出す。件の商品の残数2の文字を指で確認してから、安堵してカップを用意する。記憶違いはないようだった。

 アゼスがコーヒーを淹れている最中に、スルガが二階から降りてくる。「なあ、」と後ろから別の声がした。ゼファスも一緒だったようだ。

「新調申請って、今月までだよな?」

 そうだぜ、と彼に答えながら、アゼスはスルガの手元にある書類に目をやる。

「なんかありました?」

「や、装備じゃなくて、部屋の備品」

「ああ」

「俺もさ、見とこうと思って」

 テーブルの短辺に座るスルガが書類を広げ、長辺側に腰を下ろしたゼファスが身を乗り出して覗き込んだ。カップをその場に置きながら、アゼスはちらっと中身に視線をやる。テンプレート通りの書式だった。シンプルにまとまっている。目に留まった注意点だけ、簡単に彼に告げた。

「八掛けじゃなくて、七掛けですよ」

「あれ、どこ?」

「全部。だから、最後のところの」

 ペンを渡せば、スルガはそれを受け取って、書類に修正し始めた。彼の書く字を見て、ゼファスが「スルガさんって、モロク?」と尋ねる。

「え、なんで分かった?」

「だって、7がモロクじゃん」

「そんなんあんの?」

「『スルガ』ってアマツの名前じゃないの?」

「よく知ってんなぁ」

「でも、字はモロクなんだ?」

「いやぁ、わかんないよ、俺の字ってモロクなの?」

「あ、でもこの辺の字はモロクっぽくない」

「そこ書いたのはツーだもん」

 やっぱりこの書類の作成者はツイードだったのか、とアゼスはどこか腑に落ちた。掛け率が変わってから随分経つし、以前の数字を覚えているとしたら古参に限られる。この仕事は、アゼスがこのギルドに入ってから真っ先に手掛けた功績のひとつだ。そのことで、随分、あの人に褒められた。


「オーフェンにも前、言われたんだよな」

 ちょうど彼のことを考えていたタイミングで、偶然にもスルガがその名前を出すものだから、アゼスはどきりとして顔を上げる。

「副長も、数字カッコいいもんなぁ。モロクなんじゃない?」

 ゼファスがそう呟いて、スルガはそれを否定しなかった。

(あの人は、ゲフェンだよ)

 アゼスはそう思うが、それを口にはしない。いや、二人になら言っても構わないのかもしれないが、どこか心がブレーキをかけてしまう。最近、こういったことが増えた気がする。

 どんな情報を話すか、あるいは話さないか――それ込みでブラックスミスの技術だとアゼスは信じている。けれど、そんな理論を並べても、実情はただの臆病風なのかもしれない。

 彼との関係がどういった均衡の上に成り立っているのか、自分はコントロールする側の立場にないと思える。相場と同じ、ただの博打だ。ある日いきなり、誰かに是正されてしまう。


 近しい友人のゼファスにも、ツイードを恋人に持つスルガにも、線を引くのは自分らしくない。たった数百高いだけの相場で、アルベルタまで買い付けに行くのも。ギャンブルみたいな相場に、たまたま勝っただけなのに、これすら褒めて欲しいと思ってしまうのも。本当は、この二人からあの人の話題が出ることにだって嫉妬してしまうのも。


 同僚二人をどこか遠い目で眺めながら、アゼスはコーヒーを口に含んだ。

 らしくない。だから誰にも、知られたくない。



2026.02.01