微力3

 3-1



『ハ…っ』

 吐息が聞こえた。

 それはとても甘い声だった。

 滑らかな肌は、触れるだけで吸い付くようにスルガの手に馴染む。

 ツイードは、潤ませた瞳を揺らせ、スルガの名を呼んだ。

『……ス、ルガさ……はやく』

 腕が引き伸ばされて、スルガはその手に誘われるように顔を近づける。

 秘所はもうずいぶんと濡れていた。

 躊躇いはあったが、彼があまりにも気持ち良さそうな声をだすもので、罪悪感も忘れ肩に口付ける。ツイードの身体はピクンと引きつった。

『ちが…。なぁ、もう分かってんでしょう…?』

 スルガの頬に、ツイードの指が当たる。

 分かっている。

 唾液を飲み込めば、自然と喉が鳴った。

『……い、いんですか?』

 こく、とツイードが頷く。スルガの脈が、激しい音を立てて全身に血をかけめぐらせる。

 バクバクバク。

 そっと、その部分を触った。驚くほど、簡単に、指は内部へと入り込む。

『ア…』

 彼の声は普段よりも高く、快楽に埋もれているのが容易く知れた。

 ゆっくり、指を動かせる。

『…ぁ、…ンっ、スルガさ、ン、あ、あ、あ』

 ツイードの声に導かれるように、スルガは指を奥へ、そして強く内側を擦ってやる。

 彼の声が脳髄に響く。

 挿れたい。

 頭がそれ一色に染まった。

 早く挿れたい。早く。『ア、もっと…ッ』早く。『あ、あ、スルガァ…!』早く。


 ガンッ!!


 扉が叩かれて、ビクっと全身の筋肉が収縮した。


「スルガ!! お前、約束すっぽかしてまだ寝てるとか、いい度胸ね!!」


 飛び起きる。

 ドアの外から聞きなれた怒鳴り声が響いていた。

「スルガさーん、だいじょぶですかー?」

「スルガ~~!!」

「ちょ、近所迷惑だろお前」

「ねえコレ大丈夫? 開けたらツードさんが裸で寝てるとかそういうオチない?」

「ないない! ヘタレアサシンにそんな甲斐性あるわけねえ!」


(夢か……!)


 スルガは咄嗟にテーブルの上に置かれた自分の装備を確認した。

 カタール一式、短剣が二本。


(そろってる)


 ほっとしてから今の現状を把握した。待ち合わせ、寝坊、外には仲間たち。

 スルガは急いでベッドから立ち上がり、衣服を整え、慌ててドアの鍵をあけた。スルガがノブを捻るより早くドアは開かれ、ガンッと盛大に顔を打ちつける。

「スルガーーー!」

 最初にドスドスと入り込んできたのは、アサシン、スミだった。

「わるい、今起きた」

「見りゃ分かるわよ! 死ねこのタコ!!」

 自分より頭一つ分以上背が低い彼女に思いっきり足を踏まれ、スルガは思わず飛び上がる。

「~~~ッ!!」

 そんなスルガを構うことなく、戸口で待たされていた仲間たちは、ぞろぞろと部屋へ流れ込んできた。

「あっれ、思ってたよりキレイ」

「変な匂いもしないね」

 プリーストのアンナとウィザードのリーシャが、部屋をきょろきょろ見渡して、そう失礼な感想を述べる。

「なんで俺の部屋、臭いこと前提なの…?」

「いいから早く仕度しなさいよ。アンタ揃わないと狩りに行けないじゃないのさ」

 スミは床を足で打ち鳴らしてスルガを急かし立てた。

 開け放たれたドアにもたれ掛かったハンター、この中では唯一の男性であるレムスアルドが、同情に満ちた生暖かい視線を向けている。

「レム」

「俺は知らない。寝坊したお前が悪い」

 たった一人の味方に見捨てられ、スルガは頭を垂れつつ、寝起きすぐに所在を確認したカタールへと歩み寄った。

 同じテーブルに置かれていた包帯に手に取り、会話のついでにそれを巻く。首、手首、足首。間接の邪魔にならないように巻くのは初めのうちこそ時間がかかったが、さすがにもう慣れた。服を着替える間も出て行く気なんてまるでないらしい友人たちは、スルガの部屋で好き勝手にくつろいでいた。

「なんっもないね」

 アンナが感心するように言った言葉を、スルガは「茶も出ないのか」という意味だと勘違いして、部屋の隅にあった食料がごったに入っている袋を指差した。

「いや、食いもんぐらいありますよ。そこ、クッキー缶あるからどうぞ」

「そうでなくてさ」

 ねー?とアンナがリーシャに同意を求めた。リーシャは頷き、スルガに言う。

「なんか、こう…本、とか」

「ホン~?」

 アサシン装束に腕を通しながら、スルガは言われた単語のあまりの馴染みなさに眉を寄せた。

「俺、そーいうのさっぱりだから、読みませんよ?」

「でもなくてー」

 もどかしそうに言葉を探すリーシャに、ベッドでこれ以上ないほど寛いだ格好のスミが顔の前で手を振った。

「コイツにそういう知的さとか求めても」

 あんまりな言い方だとは思ったが、実際、教養とかいうものとは皆無な人生を歩んできているので、スルガはスミの悪態に反論する言葉をもたない。

「…いや、確かにないけどさ」

 食い違う彼女らの会話を遠巻きに見ていたレムスアルドが、解決の糸口を提供する。

「っていうか、食料と武器以外、なんもなくね?」

「あー、それ! そういうの!」

 アンナが入り口のハンターを見ながら、納得がいったように何度も頷いた。

「え? お前ら違うの?」

「いや、もっとなんかあるだろ」

「服、とか」

「あるじゃん」

「もっと数」

「ってかこの部屋で、帰ってきたら何してんの?」

「何って…寝る?」

「寝る前」

「ええ? なんかするもんなの?」

「スルガ、あんた一体、一日何時間ねてんの?」

 スミが言った最後の言葉に、残りの三人が笑い出した。

 あーそれでいつも一人最後まで元気なのね、とアンナが続けて、スルガの部屋の話題はお開きになった。なんだか釈然としないままスルガの身支度は終わってしまう。

 手荷物をまとめて、ぞろぞろと部屋を後にした。

「なんもないくせに、おっそいよ」

「ってかスミはなんでこんな機嫌悪ぃの?」

「昨日、彼氏にドタキャンされたから、今日は約束破りにはキビシイんだよねー」

「彼氏じゃないって!」

「なにそれ、超やつあたりじゃん」

「いやいや、お前が寝坊しなかったらよかっただけの話だろ」

「えー。俺の寝坊はデフォルトにしといてよぉ」

 言いながらスルガは、何か狩りに行く約束でもしていたっけ?と疑問に思った。

 昨日の記憶をかすれた頭から引っ張り出してくるが、どうにも思い出せない。普段の狩りなんかは、その日溜まり場に集まった連中で適当に行くものだから、わざわざ自分が泊まっている宿まで出迎えにくるなんて珍しいのだ。そんなことをさせるほど、しっかりした約束だっただろうか。した覚えすらない。

 まあ、いいか、とスルガはすぐに思いなおした。

 とりあえず溜まり場に行く雰囲気になっている仲間たちの後に付いて行くことにする。

 こんな些細な違和感は、日常にいくらでも転がっているものだ。ただ自分が忘れてしまっているだけだろう。


(なんか他にも忘れてる気がするんだよなァ)


 首の後ろをかきながら、それでもスルガは連中のたわいない話のほうに意識をそらしていった。






3-2



「あ、ツードさんだ」

 一旦、溜まり場にて、狩りの行き先会議をしていたところに、遅れて彼が来た。

 ツイードを発見したスミの声で、スルガは数人と囲っていた地図から即座に顔をあげて、表通りの方に視線をやる。相変わらず生活臭のしない歩き方で、ツイードがこちらに近づいて来ていた。

 彼の顔を見た瞬間、昨日、自分が彼を夕食に誘おうと店まで決めて意気込んでのに、結局声をかけそびれてしまった事を思い出す。

 ああ、忘れていたのはこのことだ、とスルガは思った。

 昨夜、スミたちに酒場へ連れて行かれ、延々酒を飲んでいたのだが、何を言われてもどことなく上の空だった。今日の狩りの約束なんかは、おそらくその時にしたのだろう。

 注意力が散漫にもほどがある自分に、スルガは内心ため息をつく。

「おっはよう、ツード」

「ツードさん、ちゃーす」

「ああ、どーも。よかった、狩りまだ行ってなくて」

 『行き先決まりました?』と皆に声をかけるツイードは、笑っているわけではないのに、どこか気さくでいい心地よい空気を感じさせる。相変わらずだなぁと、スルガはそれをぼんやり眺めていた。そのどこまでもいい愛想を見ていると、複雑な気分になる。彼の社交性は、まるでバリアみたいだ。

 親しみ易いけど、踏み込み難い人。彼がそうだとスルガが気づいたのは少し前のことだ。気が付いてからは頻繁に目がいって、そのたび彼の滑らかなコミュケーションに『うまいなぁ』『ああいうのって修羅場くぐってきてんのかなぁ』と感心しきりだった。その視線が、いつの間にこんな恋愛感情となったのか、実のところ自分でもよく分かっていない。

 むしろスルガは彼の人柄を見て、この人にはあまり踏み込んではいけない、と感じていたはずだった。あまりに精巧に思えたせいだ。自分なんかが無闇に触っていいものじゃないし、彼も踏み込まれるのを好まないだろう――という気がしていた。それなのに、自分はどうして、あえての一歩を踏み出してみたくなったのだろう。猫をも殺す愚かな好奇心だ。

 『馬鹿じゃねえの』とこっぴどくフられたら、ああやっぱりねと笑って諦めるつもりだったのに。実際、断られたとき、どうしても彼が欲しい、という強い欲求が頭を支配して、簡単に引き下がれなかった。

 どうしてこれほど強く彼を引き止めておきたい気持ちになるのだろう。

 いつからなのか、どうしてなのか、何も分からないのに自分は彼が好きだ。

 近頃は顔を見るだけで、なんの疑いもなく反射的に「好きだ」という言葉が浮かぶ。自分が誰かにこんなことを思うときがくるなんて、あんまり考えてこなかった。だからどうすればいいのか、まるで分からない。

 でも、ツイードは、付き合ってくれると言った。肉体関係抜きで。

 だから自分たちは恋人だ。あまり滑稽なところを、他でもない彼にだけは、見られたくない。


『スルガさん…ッ! 早く』


 突然、今朝の夢の内容が、スルガの脳裏をよぎった。

 肉体関係抜きで?

 いや、どう考えたってあれは。

 

(……あ、あんなこと)


 頭の中で、言い訳という名の思考が加速する。


(してたよな。したいのか。いや違う、あれはだって、女だったよ。ツードさんじゃない。けど、顔はツードさんだった。声も。どうしてだよ。馬鹿か俺。なにやってんだ)


 考えが纏まらない内に、最悪なタイミングでツイードと目が合う。スルガの肩は勝手に引き攣った。

 彼は小首を傾げて、会話を促す仕草をする。何か喋らないと不自然になってしまうが、今のスルガにそんな余裕はない。

 口を開けて、声を出そうと努力して――しかしとうとう、何も言葉が思い浮かばなかった。

「……こんにちは」

 苦し紛れに零れ出た挨拶の言葉に、ツイードは瞬きを一度して、はぁ、と頷いた。

「こんにちは」

 思わずスルガは、顔をそらす。

 駄目だ、完全に馬鹿だと思われた。いや、そんなこと今更なのだろうか。でもこれ以上失望させるのは。

「何、やってんの……あんた」

 隣に居たスミが、まったく無様なものを見る目で眉をしかめ、ぼそりと語りかけてくる。

「……何も言うな」

 さらに小声で、スルガは言う。

「やだ、スルガが救いようのない馬鹿だ…」

「……わかってるよ」

 そうこうしている内に、狩りの行き先が決まったようで、本日のパーティーリーダーであるマシューの声が後ろから響いた。

「よーし、決定! はーい注目ー!」

 視線がマシューに集まる。

「今日は炭鉱にいきまーす!」






3-3



 ミョルニール山脈の北奥地にある鉱山の炭鉱。かつてはミョルニール炭鉱として多くの鉱物や石炭が排出されたが封鎖されてもう長い。そこにモンスターが住み着きダンジョンのような巣窟と化してからは、その廃鉱は冒険者のかっこうの狩場となっていた。

 スルガも幾度となく溜まり場の仲間と訪れたお馴染みの探索ポイントだ。


 狩りメンバーは毎回変わるので、目的地に着くまでの道のりでパワーバランスを確認しつつ試し狩りをしながら歩くのが溜まり場パーティーの常だ。その日も仲間たちはいつもの調子でずんずんと深層へ進み、慣れた狩場に到着するころには今回のパーティー内で誰がどのポジションになるかおおよその感覚が掴めている状態だった。

 二人居るプリーストのうち、オーフェンはもちろん相方のハンター、マシューの支援にまわるから、後衛だ。

 となると、先陣を切る前衛組、スルガたちの支援は、自然とツイードの役目になる。

 少しだけ心が浮き足立つ――なんて喜んでいる余裕が、スルガにはない。

 この場所はモンスターの湧きが多く、相当な頻度で修羅場になる。

 襲い来る敵が次から次と後を絶たないから、処理速度によっては溜まりが出来てしまうのだった。


「行った! そっち行った!」

 既に三体のスケルワーカーをスルガが相手にしている状態のとき、後方からスミの声が飛ぶ。彼女自身も相当数の敵を抱えているようで、手助けできないらしい言い草だった。スルガは慌てて叫ぶ。

「ないないないない! 無理これ以上!」

 しかし、仲間の返答は無情だった。

「でも行っちゃったもんは仕方ないですよねー!?」

「ですよねー!」

「うわああああ!」

 無我夢中で敵のピッケルをかわし、スルガはカタールを叩き込む。

 遠くから、他人事のような後衛陣の声が聞こえてくる。

「おお……耐えてる」

「避けてる避けてる」

 悠長な事を言ってないで早く処理して欲しいが、それを訴えるだけの余裕がない。惨めな前衛の辛さなんて後ろには一生分からないだろう。涙を堪えながら、スルガは敵に切りかかる。

 彼らとて、別に遊んでいるわけではない。後衛の圧倒的な追撃が無ければ、こんなに大量の敵を相手にすることは不可能なのだ。その詠唱を、邪魔されないために自分たち前衛は身体を張らねばならない。そんなことは分かっている。分かっているが、今まさに自分の鼻先をかすめるような速度で振り下ろされるアンデットたちのツルハシを、次から次へとかわし続けていると、まるで戦場の中で自分だけが悲惨な目にあっているような錯覚に陥ってしまう。

 あと何秒このまま持ちこたえればいいのか、味方の陣を意識した瞬間、スルガの視界の隅で黒の法衣が揺れた。ツイードだ。後方に来た。彼が詠唱の体勢に入ったのが分かる。


(回復きたッ)


 スルガはそれを目の端で確認すると、フライングで思いきり敵の懐に踏み込んだ。自分が攻撃を受けても確実に相手の急所を突けるだろう一歩を。

 凶器がこちらに迫ってくる。ツイードが叫んだ。

「――“グロリア”!」

 その声に驚いて、しかしスルガの身体は聖力の効果を受けてより精密に動き、刃は深くに切り込めた。一撃を受け、よろめいた敵の爪は本当にスルガの、目の、まん前を通っていった。避けて反射的に前へ転がれたのは計算じゃない、ほとんど運だ。モンスターの背後を取ってから、止めていた息を吸い込む。


(グロリ!? んな馬鹿な、先ヒールだろう、俺、血まみれなのにッ)


 アンデッドの背中に一刺ししたカタールを抜きながら、スルガは自分の支援を行っていたツイードの方を振り返った。

 視線が合う。

 彼はこちらに気付いて満足そうな顔をした。「なんだ、やればできるじゃないか」と、言わんばかりの目。

 その瞬間、ふいに、いつかの夜かわした会話の内容が、頭に浮かんだ。


―― 『当たったら死ぬだろうけど』

―― 『確率は半々かな、みたいな』


 まさか。

 後からツイードが唱えたヒールに、スルガの体は僅かばかり回復した。囲まれていた敵を一掃したわけではないから、モンスターがひっきりなしに襲ってくる。


(ああ…、ツードさんが、笑ってる…)


 ツイードの口元は楽しそうに歪められていた。

 それはプロンテラの街中で見せる愛想のいい顔とはまったく違う、とても強気で『慈悲深い』笑みだった。

 左後方から飛んでくる爪をかわしつつ、スルガは複雑な気分になる。


(いや…まあ、結果的には、オーライなんだけど……)


 なんだろう、この扱い。あんな顔、普段は見せる男じゃない。今までだって、彼のこんな表情は見たことがなかった。もしかして、自分だからなのか? これを特別扱いといっていいのかどうか、スルガは眉を寄せる。戦闘中にそんな考え事をする脳の余裕はなく、一端思考を強引にリセットした。

 集中してカタールを振るえば敵の数は徐々に減っていく。数さえ減らすことができれば、サシで負けるような相手ではない。やがて修羅場も落ち着いて、少しした頃に遅れて応援が来る。あちらも敵が殲滅できたのだろう。

 こちらの戦闘に加わりながら、仲間たちは、殆ど片付いているモンスターの様子を見て、スルガを適当に褒めた。

「おー、やれば出来るじゃん、スルガ」

「いい子、いい子」

 全員でかかれば、清掃もあっという間だった。

「いやー、沸いたなー」

 増えたほうはスルガに任せたくせに、スミが一仕事終えた後の笑顔で汗を払う。

「ちょ、やったの俺だって」

「ほんと、沸きましたねー」

 リーシャがスルガの言葉を遮るように微笑んで言った。わざとだ。それに皆が笑い出す。

「もう駄目かと思ったもんな。主にスルガが」

「よく耐えたよ、お前」

「ほんとにねー。ツードさんがいてよかったねー」

 彼らがこちらの応援に来るころにはツイードからのヒールも無事スルガに届いていたため、彼のとんでもない所業を知る者はいないようだった。前線の一瞬で下した危険なギャンブルなんかそ知らぬふりで、ツイードはいつも通りの態度だ。「愛のチカラよねー」などとマリアが彼をからかうと、「なに言ってんですか、マリアさんまで」と苦笑する彼は、まるで好青年のようだ。

 戦闘中見た、あの微笑みはどこにもない。匂いさえしない。

 ツイードが、あんな笑い方をすることを、スルガは知らなかった。


(……この人、もしかして)


 いや、別に、彼のことを清廉潔白な真面目一徹だなんて、思っていたわけじゃない。

 どこまでいっても、あの溜まり場にいるプリーストなわけだ。彼も、普通のギルドやパーティーに入りこぼれたからあそこに来ているくちのはずで、そんな人間だというのは、理解していたはずで。むしろある意味、期待を裏切らない行為だったかもしれないわけで。


(なに言ってんだ俺)


 そもそも、事前に彼が言っていた話が、単に本当だっただけのことだろう。ツイードは戦闘中にそういう選択をする、と、彼自身が前もって言っていたではないか。

 どこか本気にしていなかったのは、スルガのほうだ。どうせ冗談の類いとして聞き流していた。誇張表現か何かだろう、と。

 スルガが想像していた――いや、妄想していた――高潔なツイード像というものが、普通に裏表のある人間的なプリースト、という情報で上書きされた。

 彼は、他の連中となんら変わりなく、大人として決して優等生とはいいがたい、というかむしろ結構ダメな部類の、スルガと同類の人間なんだろう。

 知らなかったわけじゃない。そんなこと、分かっていた。今の今まで、忘れていただけだ。


(う、…浮かれてたァ…)


 ふいに、ツイードと目が合って、彼はまた、スルガに微笑んで見せた。

 その微笑は、戦闘中のそれの邪悪さに比べれば、全然なんともない普通の彼の表情だった。

 それを見た瞬間こそ少し憎たらしかったが、けれどもう次の瞬間にはその気持ちが消え、スルガはむしろいっそ嬉しいとさえ思えて、彼に微笑み返した。

 この場で彼の笑みの意味を知っているのは、たぶん自分だけと思えたからだった。

 彼の眼が言う心の声が、少しだけ理解できるような気になっていた。







3-4



「ライのばかぁああああ!!」

 囲んだ円卓に、スミが突っ伏しながら、彼女の恋人を罵倒する。その声は遠くから聞いても彼女がまともに立って歩けないだろうことが分かるぐらい、呂律がまわっていない。

 周りの人間は苦笑しながら彼女を励ます。ときにからかう。悪酔いするポジションの人間が日によって変わりはするが、狩りの打上げはだいたいこんな風に進行していくのだった。

 スルガは長いテーブルのほぼ反対の位置でわいわいと泣き叫ぶ彼女とその周りの仲間を見ながら、あの調子じゃ今日はまだまだ飲むな、と一人頷いた。下手をすれば徹夜コースだろう。


 スルガの隣には、ツイードが一人で飲んでいた。決して孤立しているわけではないが、どのグループに専属しているわけでもない。無表情でもなく、時々振られる会話には、さっきからずっと参加してるような口調で返し、微笑んで見せたり、大袈裟に笑ってみせたりはする。なのにツイードの飲み方は何故か一人で飲んでいるように、スルガには思える。まるで、空気となって周囲に溶け込んでいるみたいだ。違和感はないけれど、印象にも残らない。


 今日は、昼の狩りの事があったからか、スルガの心情は少しツイードに対して戸惑いがあった。

 昨日までは、飲み会の席でなんとかツイードの横に座ろう、隣の席へなんとか滑り込もう、と意気込んでいたのだが、今日は別に座れなければ座れないで構わないという気持ちで席についた。そういう消極的な席取りをしたのにも関わらず、そんな日に限って何の問題もなく、むしろ避けるのが難しいようなタイミングで、ツイードの隣の席は向こうからやってきた。そして運命を恨めしく思いながらスルガはその席に座っている。もっと死ぬほど座りたかった日には、絶対座らせてくれなかったくせに。神様の馬鹿やろう。


 気が付けば、ツイードの視線が一番にぎやかなスミたちの集団に向いたようだった。黙ったまま、グラスの中のワインをくいっと飲みほすツイードを見ながら、スルガは、彼はあの連中の長引く酒に付き合うのだろうか、とぼんやり考えた。

 何か理由を付けて帰ってしまうツイードも、酔っ払い達に付き合えと絡まれて苦笑しながらも夜を明かすツイードも、同じぐらい容易に想像できた。つまりは彼にとって、どちらの選択肢も簡単だということだ。

 けれど、どちらの行動も想像できるのに、ツイードが何を考えてそれに至るのかが、スルガには分からなかった。何を考えて承諾するのか、或いは拒否するのか。

 目の前で空になったグラスをテーブルに置く、たった今の彼が、どんな気持ちでそこに居るのか。


(ツードさん、いつもなに考えてんだろう)


 何を考えてヒールではなくグロリアを選ぶのか。何を考えて自分と交際をするなんていう暴挙に出るのか。想いを告げられた当初はあんなに嫌そうな顔をしておいて、どうして恋人という役職を獲得したスルガを、隣に座らせたままにしておくのか。

 スルガにはさっぱりだ。


「……おなか」

 スルガが呟いた一言に、ツイードは自分にかけられた声だと気づいて、視線をこちらに寄越した。

「減ってません?」

「大丈夫ですよ」

「…アレ、だいぶ、かかりそうですね」

「スミさん?」

 ツイードは急に話題を変えたスルガの話にもするりと付いて来て、型通りの苦笑いをした。

「かかりそうですねえ」

「抜けましょうか」

「ん?」

 ツイードが次の酒を頼んでしまうまでがチャンスだと思った。スルガは真っ直ぐツイードの目を見る。その瞳の奥に、彼の思考への手がかりがあるかもしれないと、そんなことを一瞬だけ考えたけれど、片目だけが覗く透き通った赤紫色の瞳を見ても、スルガには何も分からなかった。けれど無遠慮なぐらい、じっと彼を見つめたまま彼を誘う。

「抜けましょうよ」

 ツイードは少しだけ目を開いた。だが、すぐにふいと視線をそらしてしまい、平坦な口調で言った。

「いーですよ」






3-5



 仲間には、スルガから適当な理由を言っておいた。

 自分たちが一緒に店を出るのだと知った仲間たちは、どことなく納得したような顔で、素直に飲み明かし会のリタイアを許してくれた。あの虚をつかれてポカンとした顔は一体なんだったのだろう。スルガには、少しおかしい。


 扉から出ると、ツイードは少し前を歩き始めていて、スルガは彼を追いかけた。

「はーっ、良かった」

 突然、ツイードが声をあげる。

「いや~、どうやって抜けようか、考えてたんですよ」

 渡りに船だったのだとツイードは笑った。あの顔は、そんなことを考えている顔だったのか、とスルガは先ほどの情景を思い浮かべたが、彼の表情と思考が繋がる糸は見えない。いや、彼のこの発言を鵜呑みにして、端的に思考へと繋げてしまうのは、こと彼の場合は問題じゃないのか?

 慣れない探りに、スルガの糸は頭の中でぐにゃぐにゃと交じり合う。


「朝まで続かんばかりの勢いだったでしょ?」

「………そうです、ね…」

「スミさんとこ、荒れてんのかなぁ」

「……ですかねえ」

「…?」


 そこで僅か、ツイードがこちらを見た。眉を寄せたまま虚ろに返答するスルガに、ツイードは違和感を覚えたらしい。スルガは慌てて会話に集中する。

「ライは浮気性っていうか、飽き性だから。スミはそーゆうのを怠惰って思っちゃうタイプだしなぁ」

 今朝の、デートをすっぽかされた話を思い出すにつけ、スルガの知るところのスミとライオネルの関係は、そういう点でぶつかり合うことが多い。

「ライもサボってるわけじゃないんだろうけど」

 少し肌寒い夜風が、流れている。ツイードは両の手をポケットにしまい込んでいた。そして、さっきまでの会話より急に声のトーンを落として彼は言う。

「関係を持続させる努力をサボったら、それはもう怠惰だよ」

 へ? スルガが聞き返すより早く、ツイードは話題を変えた。

「さて!」

 再び突然に変えられたトーンに、スルガは言葉を忘れる。

「じゃあ、俺は帰って寝ますね」

 気づけば、お互いの宿屋に向かうための分かれ道は、もうすぐそこに近づいていた。

 今、囁かれた呟きを彼はすぐに消したが、あれこそが、ヒントだったんじゃないか、とスルガは思った。今のがチャンスだったんだ。ひらめきが高揚に変わる。

 タイムリミットがさしかかっていた。

 スルガはとっさに、ツイードを呼び止める。


「ツードさん」

 なんだか妙に、明快な気分だった。

 不思議と、自信もあった。彼は、『これ以上自分といる時間を積極的には所望していないのだろう』という確信だ。

 それがどれだけネガティブな発想だろうと、彼の思考の一旦がはっきりと読めているという状況が、なぜだかスルガの背中を押していた。

「散歩でもいきません?」

 行きたいわけではないのだろうと、スルガは知っている。

 ツイードは断ってくるだろうか。

 それともやはり、しぶしぶ付き合うんだろうか。

 スルガが交際を申し込んだあの日のように。昨日までの夕食や、送って行った日の抱擁のように。

 望まぬ回答を、戯れのように口にするのか。

 そこはもう曲がり角だった。ツイードがこのまま道を左に行けば、彼の宿が待っていた。

 ツイードの歩みが止まる。

 スルガは静かに、動き出す彼の唇を追った。


「……行きません」

 意外にも、ツイードは全うに断った。

 しかしそれが、今のスルガには、適当に承諾されるよりもよほど良い回答のように思えた。

 少なからず心が浮き上がる。

 おそらく、昨日までの状況でこんな断られ方をしたら、スルガは見ていて分かりやすいほどに落ち込んだだろう。自分でも、今の自分がここまで強気に出られるのが不思議だった。

「どうして?」

 スルガがそう尋ねて、初めてツイードがぴくりと表情をゆがめる。

(きた)

 その表情の変化に、スルガは期待どおりの感触を得た。


『行きたくもないのだけれど、行かなければならない』

 おそらく、ツイードはこう考えている。何故かなんて、スルガには分からない。どうして分かるのかも分からない。でもなんとなく、匂いで分かる。ツイードの摩訶不思議な思考回路の切れ端が、そこに覗いている。


(さあ、どうくる? 次はどう断る?)

 断れば断るほど、ツイードの本音が見える気がした。

 だからもっと断られたってそうじゃなくたって、どっちに転んでも好都合だった。


 ツイードは一旦、言葉をつぐむ。

 そして少しの間、考えるように沈黙し、次の一手を切ってきた。

「……それって、デートですか?」

「!」

 なんていう手だ、とスルガは思う。


 わざと恋愛的な言葉を引っ張り出して、こちらが交際して貰っているのだと引け目に感じていることを逆手に取る気だ。

 ツイードは僅かに勝ち誇ったような余裕さえみせて、不適な笑みを浮かべていた。

 その表情には、命を預かる身でありながら、ヒールという回復より、グロリアという攻撃の一手を選ぶ、昼間のツイードの顔が見え隠れしていた。

 ああ、これがこの人なのか。


 しかし、今のスルガには恐れがない。

「そうですよ」

「……」

 答えれば、ツイードは眉をしかめた。

 さあ、もう彼には断れないだろう。付き合っていることに対しての責任を取る気が、ツイードにはあるのだ。彼にとって、これはそういう駆け引きなのだ。

(関係を持続させる努力をサボったら、怠惰……か)

 ぽろりと本音をこぼすほどに、罪に近い惰性を、彼は嫌っている。


 視線を反らしたツイードは、やがて、観念したようにため息をついた。

「……なら、いいですよ」






3-6



 自分から言いだしたのだから、これはデートだ。今更ながら、スルガはその事実を思い出し、冷や汗をかく。

 ツイードの思考パターンが初めて読めたという感動に浮かれて、選択を誤ってしまったとしか思えない。


 スルガは、ツイードの手を引いて、噴水広場のほうへと歩いていた。あの十字路で、自分の宿にも相手の宿にも通じていない道が、その道しかなかったためだ。咄嗟に選んでしまった。

 ツイードの挑発に乗って、デートだと大見得を切ってしまった焦りから、せめてデートらしくと彼の手を握ったのも、間違いだった。お陰でさっきから手にも厭な汗をかく。繋いだ部分から、急に大きく脈打ちだした鼓動がばれてしまいそうだと、スルガの心は平常心を保てない。

 スルガはツイードより一歩前を歩いているため、仲良く手を握るというより、彼を引っ張っている格好になっている。ツイードの隣をゆっくり歩くだけの余裕が、今のスルガにはない。

 ツイードは何故か黙っていた。

 カツカツと、靴が敷きレンガを鳴らす音が、夜の建物に響く。

 夜がまだ深けきっていないのが幸いだった。通りにところどころ並ぶ宿屋や飲み屋などからは、人々の喧騒が聞こえて、それが幾分か気を紛らわせてくれる。


 夜の噴水広場は、恰好のデートスポットだった。閉められた露店の前や、ベンチのあちこちに、身体を寄せ合った男女が点在している。スルガはカラカラの咽喉の唾を無理やり飲み込んで、更にツイードの手を引いて歩く。

 広場はそのまま直進で抜け出て、王城の堀あたりまで来たとき、ツイードが「ちょっと」と声を上げた。


「どこまで行くんですか」

 いつまでこの格好をさせる気だ、と彼の目は言っていた。

 さっきから、ツイードの感情が読めることがスルガの興奮をちっとも収めてくれない。全能感のような、そういう錯覚に陥ってしまう。

「人のいないとこっ」

 カップルがいると何か気まずいから、という意味でスルガは言ったのだけれど、発言してしまった後で、今のは何か誤解を招くような言い方だったかもしれない、と不安がよぎった。

 案の定、ツイードは「ハァ?」と声には出さずに顔を歪めたが、しばらくしてから、ぐっとスルガを引き、立ち止まった。

 その力にあっけなく、スルガの足も止まる。

 歩みを止めてみれば、自分が少し乱れた呼吸をしていることにスルガは気付いた。アサシンの息が上がるのだから、ツイードには早すぎるペースだっただろうか。


「あのですね」

 ツイードが溜息をつきながらも、落ち着いた声で言う。

「何を焦ってるのか知りませんけど、今日は何もしませんよ」

 月明かりに照らされて、ツイードの長い前髪から覗く瞳が、ちかりと光った。牽制だ。今のスルガには理解できる。『何もしませんよ』


(随分な言い方だなぁ)


 これはデートなのだから、別に何かしたっていい。理屈的には。スルガは驚くほど冷静にそう思えた。論法が見える。ツイードは、次の手を窺うように、こちらを見ていた。

「何もって、何ですか?」

 スルガは目を逸らさずにそう言う。

「何か、するんですか?」

 矛盾するような言い回しになった。けれどたった今「しない」と言ったばかりの男は、それでも言葉に詰まって眉を寄せた。効果のある一手だったらしい。

 しばらく、間があいた。

 じっとスルガを見ていたツイードの強い眼差しから、ふっと力がぬける。

 そしてツイードが、声に出るほどの分かりやすい溜息をついた。


「……なんなんですか、今日のスルガさん。強いんだけど」

 ツイードは首の後ろをかいたあと、お手上げだとでも言いたいのか肩をすくめてみせる。

「なんかあったんスか」

 拍子抜けするほど気の抜けた態度だった。

 振りほどかれたツイードの手が、法衣の内側を探る。しかしお目当ての煙草は無かったらしい。軽い舌打ちをするツイードに、スルガは自分のポケットから煙草を取り出して、それを彼に渡した。「あ、どうも」とツイードが礼を言う。

「俺、普段、そんなに弱いですか」

 スルガが率直にそう尋ねると、ツイードは火をつけた煙草を銜えたまま、くは、と笑い声を漏らした。

「あっはは。すごい質問ですね」

「ツードさんが、先言ったんじゃないですか」

 ツイードは堀際の芝生に腰を下ろした。それに倣って、スルガも地面に座る。

「言いましたね、俺。言いました。そうですね、強かないですね」

「やっぱ、弱いんじゃん……」

 ツイードの口から吐き出された紫煙が、夜のしけった空気の中を漂って行った。スルガはちらりと、ツイードを見る。その視線に、ツイードはスルガのほうを見て、そしてニヤリと微笑んだ。

「でも、今は強いよ」

 ちょっと敵わないかも、とツイードは言う。けれど、その笑み自体がスルガには余裕の有り余っている表情のように映った。さっきは、やっと彼の尾を捉えたかと思ったのだけれど、やはりツイードはするりとスルガの手を抜ける。

 敵わないのはどっちだ、とスルガは自嘲ぎみに片頬を引きつらせた。


「これって、デートですよね」

 スルガは煙草を燻らせるツイードへ、確かめるように尋ねる。ツイードはほとんど表情を変えないで、「そうですよ」と返事をした。

「じゃあ、何ができるんですか」

 スルガの質問に、ツイードは答えない。スルガは続けて、ツイードに言う。

「何かできるんなら、したいんですけど」

 ツイードはゆっくりと煙を吐き出してから、「やっぱ強いなぁ」と独り言のように言った。それから彼は、スルガの顔をはっきりと見る。

「だから、今日は何もしませんって」

「デートなのに?」

「あ~なんだなんだぁ? スルガさん、どーしちゃったんです?」

 茶化すようにツイードが声を上げた。スルガがムっとして、次の言葉を言おうとした瞬間、ツイードは弁明するように手を横に振る。けれど俯きながら大きく腕を振るその仕草は、少し投げやりな風にも見えた。

「ちがうちがう、あのですね」

 まいったなぁと、ツイードが顔を上げる。

「ねえ、スルガさん、ここはキスで手を打ちませんか」

 ぐっと、ツイードが前に乗り出してきた。突然に縮まった距離に、スルガは言葉を失った。間近で、ツイードの赤紫色の目がじっとスルガを見上げる。

「……それならいいでしょう?」

 動くツイードの唇を、スルガは自然と目で追ってしまう。それに触れてもいいのだという許可が、たった今下りた。

「……駄目です」

 スルガはそう答えながら、しかし自然に、まるで引き寄せられるかのように、ツイードの唇に口付ける。そっと触れたはずの唇は、スルガが前にのめり込むと簡単に開き、中の柔らかい舌を吸い出すことができた。唾液の感触が、中毒的な心地よさを生む。何度かそれを舌で撫で上げ、軽く吸い、気付けば存分に味わってから、スルガはツイードを開放する。

 は、と目の前で、ツイードが呼吸を求めた音がした。


「……。なんでしたんですか」

「え、ツードさんが、いいって、言ったから…」

「でもスルガさんが駄目っつったんですよ」


 そうだな、とスルガは内心で頷く。それは分かっている。キスで手を打とうと言ったツイードに、自分は駄目だと断った。頭では理解できるのに、衝動には抗えない。

 いや、こうは考えられないか。手を打つ気はないが、キスはしたい。

「ツードさん、もっかいしていい…?」

「駄目です」

 ツイードは、ぴしゃりと断った。近づきかけていたスルガの顔は、ツイードの手によって押しのけられる。

「今したでしょ」

「うん、だから、もう一回」

「なんでそんな発想になるんだ? あんた、大丈夫か? 酔ってんです?」

 ツイードは疑うような視線で、スルガの瞳を覗き込んだ。頭の具合を心配されて、スルガの浮遊した思考もわずかに落ち着きを取り戻す。

「いや、でも、できるなら、したいって意味で…」

「……」

「嘘です、調子のりました」

「はい、よろしい」

 ツイードの、どこか白い目線が、スルガの頭に上った血をどんどんと引かせていく。

 過去に自分が言った言葉が、スルガの脳内に駆け巡った。

 あのルティエのダンジョンで。ツイードの目を見ながら言った言葉。

『そういうの、あんまり考えないで、俺と付き合ってくれませんか?』


(あー…でもやっぱ、したいのかも。ツードさんと……セックス、とか)


 ぼんやりと、うまく回転しない頭のまま、スルガはそう考える。

 この内側から急かされるような感情が、性欲でなくてなんだというのだろう。さっき口付けた唇にばかり目がいってしまう。血管が、咽喉で感じられるほど脈打っている。

 すうっと、また、ツイードが煙を吐いた。その横顔を見ながら、言えるわけない、とスルガは思う。言えるわけない。

 この状況で。言えるわけがない。


(俺、もしかして、最低やろうかも)


 唇に、ツイードの感触だけが残った。