胸に馴染まない居心地の良さ
吐息が上がる声と、打ちつける肌の音だけが、部屋を支配していた。
月明りも入らない室内で、開ききった瞳孔が僅かな影を捉えている。
昼間の攻城戦で覚える鋭い張り詰めた興奮とは違う、鈍く緩く永続的に続く興奮と快楽――それが自分たちのセックスだった。
シーツにうずめられた相手の顔が今どんな表情になっているか、長年の経験から手に取るように分かって、それにまた体が熱くなる。
摩擦は、水気を含めば含むほど、頭が痺れるように中毒的だった。
炎天下で水を飲み干すような性急さで、味も分からないまま行為に没頭してしまう。
早く早く。
この快感には“トリ”がある。
いつからか、この男と自分は、週末の深夜をこうやって過ごすようになった。
攻城戦の日の夜は、限界まで研ぎ澄まされた緊張が神経をおかしくしているせいで欲情が治まらない。
体の内側に籠った熱を、ぶちまけてしまいたくなる。
がむしゃらに抱きあって貪りあって、一刻も早く達したい。
普段は何もかも違うところばかりの相手だが、この夜だけはお互いの目的が完全に一致している。遠慮なんて必要ない、奥をえぐるような注挿を容赦なく繰り返しても構わないセックスが、週末の最高のフィナーレだった。
何度も穿つ単調な振動のせいで、徐々に離れていく腰をぐっと掴みなおして打ちつければ、自分の下で組み敷かれた男の「う、」とくぐもった声と共に、中に確かな返答を感じた。
この男も自分と同じだ。
自分たちは、このバグったような恍惚感の中で舐める蜜の虜になっている猿だ。
自分の脳内で溢れ出している悦楽の汁と同等のものが、相手の頭でもどばどばと流れているのだろう。その確信が、興奮の濃度を高まらせていく。
打ちつけるたび、震えるほどに気持ちいい。
早く。
もう少しで手に入る。
ああ最高だ。
本当に、今日は最高だった。
昼にこの男を自らの手で沈めた瞬間から、早く抱きたくて仕方なかった。
あの時、確かに目が合って――その眼光に欲情が掻きむしられた。
今、こうやって望みを叶えている最中にだって、もっと欲しくてたまらない。
もっと、もっと、もっと。
このまま急上昇する快感の端を掴んで、最後の動きに夢中になりたい。
最高だ。たまらない。
もっと欲しい。
今はそれしか、考えられない。
・・・
目が覚めたら、夜明け前だった。
夜が終わる匂いがして、ぼんやりと意識が戻ってくる。
何か、夢を見ていたらしい。自分を自分だと思い出すまでに数秒かかった。
今まで眠っていた、と、今起きた、という事実を自覚して、瞼を薄く開いてみる。
「……」
いつもと違う気配を不思議に思って外の方へ視線をやると、窓が開け放たれたままだった。
部屋の空気が澄んでいる。微かに外の風が入り込んでいるせいだ。
起き上がって、改めて窓の方を振り返ると、白みかけた空が見えた。
ソーサラーの住むこの建物は、立地が治安的にも大してよくない物件――まあそれでも自分が寝床にしている部屋のそれよりは随分とましな部類の場所だが――だというのに、彼の部屋の位置からはちょうど視界を遮る物が何もなくて、窓から開けた空が眺められるのだった。
加えて窓が二面あるこの角部屋は掘り出しものだ。よくこんなところがあいているうちに滑り込めたものだと思う。
この部屋の住人は、そういう所はまるで抜け目がない。
他人の部屋での朝は、どこか手持無沙汰になる。
朝と言うには早すぎる時間だ。
ベッドでは裸のままの彼が、こちらに背中を向けたまま眠っていた。
そういえばこの男は、いつも自分に背を向けて寝ている気がする。目覚めてすぐに彼の寝顔を直視した記憶があまりない。
頭の片隅に残っている昨日の安酒を抜くために、一度シャワーを浴びた。何度も使ったことがある勝手知ったるバスルームだったが、何回使ってもシャンプーのボトルが覚えられない。サイズの違う瓶がいくつも並んでいる。蓋を開けて中身を嗅いだところで、薬草臭いことは分かるが種類の判別はつかない。全部、あの男のような匂いがする。
浴びる湯も早々に、着るものも着ず、すぐに元の部屋に戻ってきた。視界の隅で自分の下着を見はしたが、履く気になれずそのまま窓のそばまで歩いて行った。
適当な洗剤で適当に洗った頭を、無断拝借したタオルで雑にほぐす。
空気が少しだけ冷えている。
昨夜の血が湧きたつような興奮は、すっかりなりを潜めていた。
タオルと同時に掴んで持ってきた煙草に火をともし、赤く焼ける先端から目を離して、窓の外にゆっくりと煙を吐いた。
初めの一息を吐き出すのは、大きなため息に似ている。
身体の中に溜まっていた淀みまで、全部出ていくような気分だった。
とっくに夜でもない、けれど朝もやって来ない空が、何色でもない中途半端な色でぼやけている。どこまでが境界なのか、わからない。そんな風景を眺めていた。
今の俺に似ている、と頭のどこかでそう思った。
一体なにが、と自分自身に問いかけた頃には、その根拠ごと感情の気配は消えてしまっていた。
この部屋から、空を眺めるのは何回目だろう。初めて来た夜が、もうずっと遠くのことのように思える。
あの頃はもっとしこたま酒を飲んでから、吐く寸前でこの部屋に流れ込んで来るのが常だった。そしてアルコールで沸騰した攻城戦の興奮もそのままに、悪い乗りのまま身体を無茶苦茶に扱いあった気がする。酔ってなきゃ、何も始まらなかっただろう。
それに比べたら軽く煽っただけの昨夜の酒程度が、朝までぼんやり残っている今の自分は、随分と腑抜けている。弱くなったか? なんで。歳か。いや、そんなことはない。思い浮かんだ言葉をもみ消しながら首を振る。
戦闘スキルのほうの腕前には、脂がのる一方だ。衰えているとはとても思えない。
じゃあなんなんだよ、と思った。
でも途中で、結論を探すのが面倒で思考を放棄した。そもそも興味がなかった。
そんな言い訳じみた理由を考えるのは趣味じゃない。
体がなまっていないのなら、他の事は別にどうだっていいことだ。
何度目かの紫煙を細く長く吐きながら、どこまでも続く空を眺める。
この場所は、不思議と居心地がいい。
そしてその事実が、逆に、居心地が悪い。
座りの良さに違和感がある。どうして自分は快適さを感じているんだろう。
昨夜のセックスで、馬鹿になった部分の熱は全部出し切った。抜いてすっきりした頭は爽快で、気分がさっぱりしている。
やっぱり、あれは良い。
週末は、ああでなくては。
攻城戦は自分の天職だと思う。
先端まできれいに生き血が通う興奮の中で、最高にハッピーに生きたい。
上がりすぎた熱を抜く手段だって持っているから、自分の中では上手く回っていける算段はついている。
ずっと、あの興奮の中に居たい。こんなのは妄想だが、別に本気だっていい。
ずっとあの喧騒の中で。
けれど考えてみれば、今のこの部屋は、あの騒ぎとは対極にある静けさをしている。
白みかけた空。開け放たれた窓。素肌に直接触れる空気。口から吐き出され、漂い流れていく煙。
比べてみればまるで味のしない、白湯みたいな物たちだ。
かなり長いあいだ席を置いている今のギルドだって、居心地はいいけれど、ならこのまま一生涯同じギルドに居続けるのかと考えると、そんな自分の人生がなんとなく胸に馴染まない。
安定志向はもっと馴染まない。
幸せの貯金、みたいな生き方も塵屑のように思える。
きっと、永遠に続く『最高のハッピー』なんて、どこにもないんだろう。自分はそれを本能的なところで知っている。
毎日変動するその日一番のりんごを、鷲掴みにしてそのまま噛み砕きたい。
変わっていくことに怯える奴らを尻目に、激流に上手く乗れるのが自分らしいと思う。
日々は更新されるし、相場も人間関係もパワーバランスも、何ひとつじっとしているものはない。
変化しつづけていく。
煙草は、最後の一吸いを終えたところで、縁ですり潰して外に投げ捨てた。
部屋を振り返り、窓枠に肘を置く。
室内のベッドでは、神経質で好戦的で煽情的なあの男が、嘘みたいに静かに寝こけている。
もうすぐ、夜明けだ。
週末が終わり、空の向こうから味気のない平日が始まろうとしている。
この男とこういう朝を過ごすのも、いつか終わりがくるんだろう。
だって一生涯なんて、まるで胸に馴染まない。
これだって、永遠じゃないものの内のひとつだ。
以前の自分なら、こんなこと、考えつきもしなかった。
2020.08.03