興が乗るよりも願望に忠実なキス
ふわっと近づいてきたジェンの気配が、俺の顔面の前で止まって、焦点も合わないままに唇だけが触れた。やわく、二度、三度、ついばまれて、それはゆっくりと離れていく。体重の移動に、ベッドの枠が軋む音がした。月明りだけの部屋に、お茶をにごしたような音だ。二人きりになるように仕組まれた部屋と、その仕組みを崩さなかった俺は、そう仕組んだ男に、これから支配される。
唇が触れた瞬間、分かったことがあった。
俺は今まで、こんなキスをしたことがない。
ディーユも、他の誰かも、俺とこんな風に唇を合わせたことなんてない。
そう思うと、キスをされると分かっていて、実際にされて、たった今終わったこの一回の口づけが、なんだか奇妙で面白いことのように思えた。は、と口から、息がこぼれて、口元には自然と笑みが乗る。
「なんですか」
不服そうにジェンが言った。笑えばそう言われることは分かっていた。何もかも、分かっている。今までコイツが俺にしてきたことも、これからコイツが俺にすることも、全部分かっていた。なのに俺はたぶん、何もかもを初めてこの男にされている。可笑しいだろう。
「べつに」
俺が笑みを深めると、ジェンはますます眉を寄せる。馬鹿にされていると思っているんだ。分かっている。俺はずっと余裕でいると思われているんだろう。コイツの気持ちを見透かして、手のひらで転がしていると思われているに違いない。コイツの中での俺はきっと、もう何千回も同じようなキスをして、何千回も同じようなシチュエーションで抱かれていて、俺の中のジェンは何千回目の男にすぎないと、そう思われている。あほらしい。
俺はたった今、はじめてこんなキスをした。
俺に触れた唇は、やわくて、あつくて、かすかに震えて、はち切れそうなほどの期待と情熱を裏に秘めた、甘く強いキスだった。
だからきっと俺は今から、初めてそんな風に抱かれるだろう。そんなことをしてきた奴は今までいない。俺はこんな愛を知らない。そういうことが、どうしてコイツには分からないんだろう。こんなに何もかもあけすけに分かっていることなのに。俺が笑うと、ジェンはムッとする。照れ隠しのように、けれどどこか本気で嫌がって、俺を真剣な顔にさせようとする。
できるわけない。
こんな風に口づけられて、こんな風に抱き寄せられて、それでもまともな頭でなんて居られるわけない。
「……いや、なんですか」
「ハッ」
にやけが止まらない。これが笑わずにいられるか。
「んなわけねーよ。楽しみなんだよ」
2018.09.01