進化
久しぶりに用事でクロックの元を訪ねたら、女がいて驚いた。ただ、髪も肌も着ている服も、全身真っ白な女だったので、カリシュは彼女がホムンクルスのミッシーであることに辛うじて気づけた。白でなければあぶなかった。彼女はアルケミストのクロックが作ったホムンクルス、リーフ種のアルビノだ。この間会ったときたしか彼女の背丈はカリシュの膝あたりまでしかなかったのに、今では胸あたりまである。子供の成長とはかくも急激なものか、と半ば感心しつつ、頼まれていた荷物を彼女に渡した。彼女は相変わらず、言葉を発さず、不思議な赤い色の瞳でじっとそれを眺めるだけだった。
ちょうど、アルケミストの学者は起きている時間帯だったようで、めずらしくダイニングテーブルに腰かけていた彼から、「やあ、カリシュくん、よく来たね」と挨拶される。
「ついでにコーヒー煎れてくれるかい」
実に数か月ぶりだと言うのに、まるで今朝も同じことを頼んだみたいな調子で、クロックはカリシュにさらりと注文するのだった。不思議なもので、彼の依頼はどんなに突然でも「面倒だ」と感じない。声色のせいだろうか。
ミッシーの成長以外、ろくに何も変わらないクロックの家のキッチンで、カリシュはコーヒー豆を挽く。
「進化だよ」
クロックは言った。
「成長じゃない。ホムンクルスに加齢という概念はない」
いや、厳密にはあるけれどね、と黒髪のアルケミストはエスプレッソほどの濃いコーヒーをすする。
「賢者の石を与えれば、ある日突然、これになる」
博士は隣の席に座る彼女のほうを見ず、手元のカップの中に視線を落としていた。
「突然」
「そう」
まあ、そう言えば、普通の緑色のリーフなら街中で何度か見かけたことはあるが、確かに小さい形態と大きい形態の二種で、中間層はいなかった気がする。
「餌は変わりますか」と尋ねてみたところ、クロックは「いや?」と答えたので、カリシュはミッシーにパンケーキを作ってやった。小さいころの彼女の好物で、果物と草と水以外はこれしか食べない。カリシュのほうも、料理と名のつくものはおよそこれしか作れない。(それだって、初めの一枚は必ず失敗する。)
進化したミッシーの、ナイフとフォークの手付きは以前より整っていた。
「そうだ、これ、余ってるからもっていくといい」
クロックが思い出したように棚から出したのは、金細工の髪飾りだった。つるっとした光沢がある親指ほどの小さいサンゴが四つ、ぶら下がってゆらゆら揺れている。
「コーティング剤の実験をしていたら、商売人に見つかってね。大量に作らされた」
商売人というのは、先生の家に出入りしているあのブラックスミスの男のことだろう。クロックは高価なポーションや消耗品の類を売って生計を立てているらしいが、物珍しいものが出来ればそのブラックスミスが高値で買い取っていくようだった。
「ストーン型やプレート型なんかより、そのままのサンゴの形状のほうが売れたそうだよ。海にはプレート型で落ちてないもんなぁ」
彼のこういった発言はあまりにも飄々としているので、皮肉なのかはどうなのかいつも分からない。意図を確かめたこともない。
カリシュが髪飾りの代金を支払おうとしたら、それは断られた。
「持っていってくれるほうがありがたい」
彼の研究室には要らないものなのだろう。
「合金のメッキだしね」
主人たちのやり取りの後ろで、ホムンクルスは口元にハチミツを付けたまま、食べ終わった皿を洗っていた。
・・・
ところで、女性の飾り物というのは、なかなか凶器だ。帰り道、貰った髪飾りの裏側を眺めながら、カリシュは思う。
日頃、彼女たちが付けているものの表面しか見る機会がなかったが、こういう髪飾りの裏には、針とギザギザとした形状の歯を持つクリップが取り付けられてあるらしい。頭部に付けるものにしては意外とおっかない。上手く持って殴ったら、結構なダメージが与えられそうだ。
フィオナにあれこれ買うようになってから、今まで無縁だったものたちの思いもよらない部分が見えることも多くなった。
・・・
「え、パンケーキ?」
目を真ん丸にしたフィオナが口元に指先を当てる。
「そんな、私にも作ってください」
法衣から甘い匂いがすると言われて、パンケーキを作ってきたからだろうと答えたら、このざまだ。材料がない、と零せば、彼女は小走りで自室に戻り、なぜか在庫があったらしい材料を両腕に抱えて帰ってきた。
「ミルクと小麦粉と卵とお砂糖。これはコーンスターチ。他に何かいります?」
「ハチミツ。果物があれば、それも乗せる」
カリシュが答えれば、フィオナは、わあ、と輝いた瞳を丸くさせて「本当ですか」と尋ねてくる。質問にカリシュが答える前に彼女は「今朝取ってきたのならあります!」と、また部屋に戻って行ってしまった。
宿の二階には共有キッチンのスペースがあって、宿泊客は自由に使用してよいことになっている。とはいうものの、一階に大きな食堂がついたこの宿屋で自炊をする冒険者は少なく、コンロはいつでもすいていた。そこでカリシュは本日二回目のパンケーキを三枚焼く。焦げた初めの一枚目を捨てようとしたらフィオナに「とんでもない」と止められたので仕方なく皿に三枚重ねた。その上からたっぷりのハチミツをかけ、キイチゴとブラックベリーを乗せる。パンケーキが完成すると、フィオナは満面の笑みで両手を合わせて、いただきますとフォークを握った。
それをぼーっと眺めていたものだから、髪飾りの存在をすっかり忘れていた。
「美味しいです、すごいです」
大げさに、フィオナは褒める。
そのまま、夜まで思い出さなかった。
・・・
「なんですか? これ」
布団をめくってベッドに入ろうとしたフィオナが、枕の上に置いてあったそれに気が付いたようだ。風呂に入る前に懐に入れてあったその存在に気づき、そこに置いたのだった。
なんとなく、ベッドで彼女がいつも寝るスペースあたりに置いたが、よく考えたら裏側が危ないものだったから不用心だったかもしれない、とカリシュは思う。
「バレッタ?」
フィオナは髪飾りを手に取り首を傾げた。
「貰った。持って帰っていい」
「本当ですか? きれい。サンゴ? ですよね、ありがとうございます」
おそらく、フィオナに物をあげやすいのは、すんなり受け取って貰えるからだろうと思う。彼女は謙遜で断らない。
小粒の飾りを指でつついて揺らしながら、フィオナは静かに、やわく、微笑んだ。
「…かわいい」
その表情に、カリシュはどこか懐かしさを覚える。
もうあたりが眠り始める時間帯になると、フィオナの声はいつもひそやかだ。昼にパンケーキの前で笑っていた彼女も十二分によかったけれど、夜にランプの灯りの元で浅い声で話す彼女は、格別にいい。カリシュは黙って同じベッドに入りながら、いつまでも髪飾りを揺らしているフィオナの、横顔を眺めた。
いつのまにか季節が移り、夜の気配がぐっと濃くなってきている。
静かで重い、夜は深海だ。
けれど、ここしばらくはその海の、ゆらぎがちょうど心地いいと、カリシュには思える。
成長ではない。ある日突然、そうなった。
2015.12.01